statement

従来の絵画においてのキャンバスという概念を広げ、自分の身の回りにあるいつも目にしている物や場所・空間にそのフレームの概念を適用する。捨てられていたブラウン管の空洞、椅子の足の間のスペース、部屋のコーナー、コートの表面などに描くことから始まり、いろいろなところに絵を描いてきた。
これらの空間をキャンバスと呼びはじめたきっかけは、キャンバスの向う側を常に描こうとしていたところ、キャンバスを透明にすることにより、描いているものと向こう側にあるものの境界が溶け合った瞬間だった。
普段、自分が気づかない毎日のスペースにおいて発見される自然の美しさ、例えばコンクリートの割れ目から姿を見せる雑草のように、日々の生活のなかのささいだけど重要なことが作品にとりいれることができるのではないかと模索している。

最近は、パンや透明ボトルに絵を描く「なんでもキャンバス」や、透明な箱をキャンバスと見立て、絵が増えていく様が見える「パフォーマンス的絵画」と、空間に絵を描く「インスタレーション絵画」として、続けている。

2016年2月


絵を描くことの楽しみ、自由さを求めて、空間のなかへ、または日常的に目にする物をキャンバスに、描いてきた。それらは3つに分類される。
透明ビニールを使い、一つの部屋をキャンバスと見立てるインスタレーション的絵画。
透明な箱をキャンバスと見立て、絵が増えていく様を見えるパフォーマンス的絵画。
そして、基本となる、なんでもキャンバスとみたて、パンや、ガラス瓶や、森など、普段日常に目にするオブジェに絵を描く。

最近考えるのは、事に、事象に絵を描くことはできないか?オフィス、家族、公園での幸せな家族、喧嘩
言葉に絵を描くことはできないか?会話する2人。などの事象にも。

2015年12月


描くということはどういうことなのか?「ドローイング」や「絵画」に対する姿勢や方法について思考しながら、それらを空間の中で表現することが出来ないか試みる。

また、空間とそのなかに配置されるインスタレーションとの関係性、空間とその中に描かれる絵画の関係性、作品と鑑賞者とのあいだに生じる関係性など、それらを意識しながら制作を続けている。

2015年6月


いつもそこにいてそこに属さないような疎外感を感じています。
それを感覚的に、透明感の中に見つけようといろいろな素材から 探してみたり、透明ビニールのレイヤーに見出そうとしたり。
荒涼感や寂寥感を感じさせるホワイトアウトされた空間は、 少し気持ちいい疎外感。そこに浸み出してくるドローイング、見えたり隠れたりするイメージ。 疎外感はいごこちがわるいような、いいような。

2013年5月30日展覧会「カラフルな疎外感」より


風景をかいたい(解体)して、
組み立てる、
みたいな.

2009年1月25日


確実なものの中にそれはあるのであろうか?
逆に不確実さ、あいまいさ、信頼のなさの中のそれに興味をひかれる。それは媚びずに、その場において、確実に何かを持っている。
その何かは明らかにする必要があるのだろうか?
連続する、継続する必要があるのだろうか?
私の場合、その形体は変化しても求めているそれは変化ない。
遠くにみえてつかめないもの。それらに興味をいだく。
つかめないものはつかまなくてよいと思う。
ただいろいろカメレオンのように形をかえて、人をだまし、信頼を失い、それでもそれはそこにあり、ただ自分だけは直観的ではないけれども、それを知っているのである。
ばれてしまってはつまらない。それはあいまいのままにしておくのがよいと思う。

2006年8月9日


キャンバスの枠から身の回りのものに支持体を置き換えることで広がる世界。それは 透明であることにより向こう側がみえたり、本の中を覗き込むことでインタラクティブに広がる。プラスチックやガラスの廃材、おかずのトレイを素材とすることにより 普段気づかない美しさの再発見をリサイクル的活用において見いだすのである。イメージは借りてきたものや思いついたものが入り交じったものだけど、それらの身の回りの素材の上に遥か遠くの世界を投影する。

2006年


I am applying the concept of a frame, as used in conventional painting to every object and everything everywhere.
There are many places where I paint places such as the window formed by the screen of a computer, or a TV, the space between the legs of a chair, the corner of a room, or the surface or the inside of a coat.
I paint on anything anywhere, especially on the everyday space where we don’t even notice.
I see these spaces as frames, and because my canvas is uaually transparent the material allows for the connection between what I painted and the ambient space in between. The boundary between the space and the surface of painting is a point of union. Individual depth of view is something I try to convey with my works.
For me, this signifies a rediscovery of nature and its corruption by the intervention of human technology.
It is like when we find the miraculous growth of a common weed between the cracks of concrete. Hope and despair exist next door to each other. It is poignant, transient, unintentional, innocent. It is where the work of art breathes for itself.

2004.